僕の名前は、佐藤ハジメ。
何者でもない者。
人を引きつける魅力もなければ、悪党を倒す力もない。かといって芸術、創造に秀でているわけでもない、代えのきく存在だ。
その事実は、こちらの世界に来てからも変わることはない。
今、僕は日本とほとんど変わらない場所(リトル・トーキョーと呼ばれている)でコンビニ店員をしている。
僕にとって、こっちは地獄だった。
この世界には“役者”が多すぎる。
悪い意味で言ってるわけじゃない。
役目のある者だから、“役者“。
役目があるってことは、存在に意味があるってことだ。
この世界をまとめ上げようとする者。それに反抗する者。
ただの市民や、そこらに潜んでいる怪物でさえも、それぞれの役目がある。
しかし僕には、役目がない。
僕にしかできないことなんて、ない。
“役者”たちが紡ぎ出す物語をただ観ているだけの存在。
前の世界にいたときから、僕は、観客のままだ。
変わったことといえば、立ち見席からプレミア席になったことぐらい。
もちろん“役者”の立つ舞台に近づいたわけだから、迫力や臨場感は増した。
でも、その分だけ虚しさも増す。
いくら舞台に近づこうと、僕が観客である事実は変わらないのだから。
そして、この世界では“役者“たちが前の世界より何倍も、何百倍も輝いている。
それも当然のことだ。彼らは前の世界で名を残した人物ばかり。
善悪に関係なく、何かを為した者たちだ。
前の世界でも観客だった自分が、選りすぐりの“役者”が集まるこの世界で舞台に上がれるわけもない。
ここはナイアル・オブ・パラダイス。混沌の集中点。
過去の偉人が闊歩し、未知の怪物が潜む世界。
僕みたいな存在が生きていくには、身の程をわきまえなきゃいけない。
だから、僕は今日もコンビニで働く。生きるためだけに。
来る日も来る日も同じことを繰り返し、どのくらいの月日が経っただろうか。
珍しい客が店に来た。
会話の内容から推察すると、彼らも僕と同じアウトサイダー(外の世界からこの世界に転生した者)らしい。
「あの、お客さん…もしかして、外の世界から来ました?」
気づいたら声をかけていた。理由は自分にも分からない。
彼らは特に気にする様子もなく、答えてくれた。
僕の予想通り、彼らもアウトサイダーだった。
「や、やっぱり、そうですよね。こっちの人たちとは雰囲気が違うもの」
そこで終わりにしておけばいいものの、僕の口はぺらぺらと語り出す。
「実は、僕も外から…日本からこの世界に迷い込んだんです。でも、僕なんかにできることなんか、何ひとつなくて…」
ダメだ。ここで止まれ。
“それ“を、聞いても、みじめになるだけだ。
「お客さんたちは…今、何をされてるんですか…?」
___聞いてしまった。
彼らは少し戸惑った様子を見せたが、口を開き、こう答えた。
七つの未知の驚異的生物について調査をしている、と。
「…そうですか」
七つの未知の脅威的生物とは、神話に出てくるような生物であり、この世界に君臨する一種の神さまみたいなものだ。
この存在を倒すことで、この世界の謎が解ける、秩序がもたらされる、またはアウトサイダーが元の世界に戻れるようになるとか噂されている。
神なんて、と笑うものもいるだろう。
しかし、この世界では人を簡単にボロキレにできる怪物の存在が当たり前とされている。
そんな世界の住人たちに、そこらの怪物とは一線を画する、と評価されているものが七つの未知の脅威的生物なのだ。
それをどうにかするだなんて、僕だったら恐ろしくて口にすることもできない。
しかし、彼らは調査すると言った。
無理だ。死ぬに決まっている。
恐らくは彼らも、自分たちが全てを解決し、ハッピーエンドに至れるとまでは考えていないだろう。
しかし、彼らは僕と違い歩みを止めていない。考えることを放棄していない。
僕が、あんな質問をしたのは、期待していたからだ。
同じアウトサイダーの口から、この世界に対する恐れや、無力感に満ちた言葉が吐き出されることを。
観客は自分だけじゃないと、そう思わせてくれることを期待していた。
だが、彼らは観客ではなかった。
舞台の上で物語を動かす“役者”だった。
僕のような何者でもな___
「「「「「ヒャッハーーー!水だあーーー!」」」」」
突然、コンビニのウィンドウが叩き割られ、武器を持った数人の男たちがずかずかと入り込んで来た。
肩パッドに、中心だけを残して髪の毛を剃りおとしたヘア・スタイル___なんてこった!あいつらは首輪の外れた狂犬ども___「イキリ・モヒカン」だ!!!
奴らは棚を蹴り倒し、商品を破壊しながら飲料水コーナーに向かっていく。
「ヒャッハッハ!やっぱり軟水はちげえな!」
そんなことを言いながら、「イキリ・モヒカン」たちは次々と飲料水のフタを開け、水浴びを始める。
僕は「イキリ・モヒカン」たちがこのまま満足して帰ってくれることを祈りながら、近くにあった掃除用のモップをお守りがわりに強く握りしめた。
そんな僕の思いとは裏腹に、先ほどまで話をしていたアウトサイダーたちが、ゆっくりと「イキリ・モヒカン」の方へと体を向けるではないか!
や、やめてくれ。相手は「イキリ・モヒカン」だぞ。
群れをなし、人の命を奪うことに躊躇のない無法者たちだ。
下手に刺激すれば流血は避けられ___
始まった。
コンビニを舞台に、「イキリ・モヒカン」とアウトサイダーの乱闘が始まってしまった。
この乱闘に巻き込まれ、僕は死ぬのか。
あまりの恐ろしさに僕の膝は折れ、目を閉じてしまう。
死にたくない。
打撃音、銃撃音、破壊音。
その音は、恐怖に耐える僕の心を破裂させんとばかりに耳から侵入してくる。
耳を塞いでしましたいが、恐怖で縮んだ両手はモップを手放してくれない。
僕はここで死ぬのか。
またひとつ大きな音がなり、同時に風切り音がする。
大きなものが、すごい勢いで僕のほうに飛んで来ているようだ。
避けようにも、恐怖という重力で閉じた目では逃げ先も分からず、震える膝に主人を動かす力はない。
ドスン。
鈍い衝撃が僕の体を揺らした。
同時に、サビ臭い液体が身体を伝う。
___血だ。
この量じゃ、助からないな。
ありがたいことに、痛みは感じない。
死への恐ろしさで神経が麻痺しているせいかだろうか。
結局僕は、何者にもなれなかった。
硬く目をつむり、暗闇を最後の景色にしながら、僕は死んでいく。
せめて、自分の死に様くらい、知っておくか。
そう思い、人生最大の勇気を振り絞って、目を開いた。
「…えっ?」
僕の目に映ったものは、血に濡れた掃除用モップだった。
おそるおそる、目線を上げるとモップの柄の先に「イキリ・モヒカン」の1人が突き刺さり、ぐったりとしている様子が目に入る。
体を伝っていた血は僕のものではなく、モップに突き刺さった「イキリ・モヒカン」のものだったのだ。
___僕が、倒した?
膝の震えが止まる。
___この、「イキリ・モヒカン」を?
まぶたが重力を跳ね除け、大きく目が開かれる。
___僕が、倒した。
この瞬間、僕は死んだ。
無力な自身に絶望し、何も為せない自身を軽蔑していたさっきまでの僕は死んだ。
体の内を冷たく流れていた血は今までになく沸騰し、灼熱のガソリンを流し込まれた心臓は僕を突き動かす。
僕は刺さっていた「イキリ・モヒカン」を引き抜き、モップを握り直した。
残る「イキリ・モヒカン」は、僕が倒した奴を引いて4人。
やってやる。
勝ち負けじゃない。
「やってやる!」
喉が裂けるくらいに吼えながら、僕は「イキリ・モヒカン」とアウトサイダーの乱闘の中に、勢いよく飛び込んだ。
探索者がリトル・トーキョーを訪れると、コンビニを発見する。特に買う物もないが、物珍しさ、あるいは懐かしさで店内を見て回っていると、店員の「佐藤ハジメ」に話しかけられる。「佐藤ハジメ」は、自分はアウトサイダーであるが、腕っ節に自信があるわけでも、頭が切れるわけでもないため、現実世界と同じようにコンビニ店員をしていることを話す。「佐藤ハジメ」との会話中、「イキリ・モヒカン」たちがコンビニを襲撃する。
戦闘中に、「イキリ・モヒカン」5人のうち1人でも戦闘不能になった場合、以下の処理を行う。探索者が戦闘不能にした「イキリ・モヒカン」は、「佐藤ハジメ」が握りしめていたモップの柄の先に倒れこむ。目を開いた「佐藤ハジメ」はモップに突き刺さった「イキリ・モヒカン」を見て、自分が倒したものと勘違いし、奮い立つ。この直後から「佐藤ハジメ」は攻撃・回避・その他の行動を行うことができるようになる。
戦闘終了後、「佐藤ハジメ」から報酬を貰う。倒した「イキリ・モヒカン」1人につき価値Bのアイテムを受け取ることができる。
あの後、僕はコテンパンにされ、アウトサイダーたちの足を存分に引っ張った。
しかし、アウトサイダーたちはそんな僕をフォローしながらも「イキリ・モヒカン」たちを撃退してくれた。
彼らの助けがなければ、今頃僕はこの場にいなかっただろう。
そして助かった僕は今、めちゃめちゃになった店の掃除をしている。
習慣とは恐ろしいものだ。
ボロボロの体とガタガタのモップで店の中を掃除していると、ある疑問が頭をよぎった。
僕は、何者かになれたのだろうか?
___答えは“No”だ。何者にもなれていないと思う。
ただ、2つの勘違いに気づくことはできた。
僕は、“役者”たちと同じ舞台に上がることが、何者かになる方法だと信じてきた。
でもそれは違う。
観客席だと思いこみ、深く腰をかけていたこの席こそが、僕の舞台なんだ。
行儀が悪かろうが、みっともなかろうが、この席の上に立つだけでよかったんだ。
そして、人は何者でなくともいい。何かをすれば、それでいい。
最も大事なことは、自分の舞台に上がろうとする意志だ。
僕の名前は佐藤ハジメ。
何者でもない者。
そして、ようやく舞台に立った者。
Illustrated by 接続設定 お客さんたちは…今、何をされてるんですか…?
現代日本から迷い込んだ臆病なフリーター。才能もなければ人望もない27歳独身。自分と似た境遇の人物と話し、安心したいと考えている。得意なことはない。強いていうのであれば、彼のする掃除はコンビニのオーナーに「悪くない」と評されている。