物語はいつも、一杯のグラスから始まる。
僕が今の仕事に就くようになったときも、四年間交際を続けた彼女と別れることになったあの日も、あるいは僕がこの世に生を享けることが決まった瞬間すらもがそうであったらしい。
そして、今日この日もまた……。
スペース・センターにほど近いここヒューストンでは常に甘ったるいあの宇宙の香りがどこからともなく纏わりついてくる。
控えめな大きさのテーブルの向かい側では、一人の少女が優雅に落ち着きグラスに注がれたキツめのアルコールを傾けていた。
少女――僕のオフィスに突然遣いを寄越し、会見を要求してきた――は、いわゆるアウトサイダーに当たるように思われた。
どうにも年齢が読めない顔立ちや見慣れないデザインの不思議な衣装もそうだが、彼らには外の世界から来た者特有の、一種独特の空気感のようなものがある。
無論それは、混沌の坩堝と化した現在のここニューフロンティアにおいては特段不利とも有利ともなる性質のものでもないが……。
「わたくしの話は、おわかりいただけまして?」
怪訝そうに少女が尋ねてくる。――しまった、何も聞いちゃいなかったぞ。
「もう、そのご様子ではちっとも聞いていらっしゃらなかったようですわね。いいこと? わたくしは――」
耐えきれず吹き出した僕を睨み付けてくる少女に謝りながら、言い訳を試みる。だってそうじゃないか、僕には馴染みが無さ過ぎる言葉遣いだったから。そのうち鏡(mirror)のことを姿見(looking-glass)って言い出しそうだ。
「あら、言葉も文化も変化からは逃れられないもの。次第に失われていくそれらを正しく保存しているのは、わたくしたちのような外国人だということ、ご理解いただきたいものですわね」
16歳かそこらにしか見えない少女が、大学にならばダース単位でいる夢見がちな教授のようなことを言い始めた。そう思って見ると、浮き世離れした立ち居振る舞いや瞳の奥にある確かな知性の光からはどこか学者然としたものを感じないでもない。
「ええと、何のお話でしたかしら……? そう――」
そうして、少女は僕が辿るべき道を語る。まずはジョンソン宇宙センター、次いでテキサスの州都オースティン、その後はニューメキシコの方角へ。道中では迷い猫を探したり、殺人事件を解決する必要があるかもしれない……。そして是非とも僕にそれを成して貰いたいとも。けれど、この少女は一体何者なのか? それに、なぜ僕を選んだのか。
「その二つの質問には一つの答えで足りますわね。――わたくしは『探索者』ですわ。あなたもまた、そうではなくって?」
人差し指を立てて見せた少女は、分かったような分からないような答えを返してくる。なんだか禅問答というか、煙に巻かれているような気持ちになってきた。
「まだご不満なのかしら。でしたらわたくしが『テスト』してさしあげますわ!」
探索者を呼び出したアウトサイダーの少女は不亜院愛夢と名乗り、自らへの協力を求めてくる。戸惑う探索者に向けて、少女は『テスト』と称して様々な質問を投げかけてくるだろう。
打ち明けた話をするならば、このサブシナリオは要するに探索者の紹介シナリオである。セッション前の卓を温めるために、又は探索者の自己紹介代わりに使用して貰えれば幸いである。
――探索者にとっては教科書的と思えるような質問を続ける。探索者はプレイヤー知識か、〈知識〉等適切と思える技能に成功することで正答を示せたということにしてよい。質問が次第になぞなぞの様相を呈してきた辺りでテストは終了である。勘の良い探索者か、あるいは〈アイデア〉に成功することで、探索者は少女がまだナイアル・オブ・パラダイスにやってきたばかりで、常識的な質問を通じて自身が知っている世界と相違ないか確認しようと試みているのではないかと気づいてよい。
少女は探索者に同行するわけではない、尋ねると、他にやらなければならないことがあるから、と言って少し申し訳なさそうにするだろう。代わりに、少女は身に着けていた髪飾りを外して探索者に差し出してくる。これはユニークなアイテムで、所有者が望めば一定の時間少女を呼び出し、その助けを借りることができる。探索者はクラスCの物品である「不亜院愛夢の髪飾り」を入手する。
キーパーは探索者の希望に応じて報酬として得られるアクセサリーの種類を自由に変更してよい。一例としてはリボンやペンダント、イヤリングやチョーカーなどが挙げられるが、少女が現在身に着けている物であればなんでもよい。探索者が望むのであれば、「脱ぎたてのブーツの片側」などを要求したとしても、負い目を感じている少女は目を白黒させて渋りながらも結局は嫌々応じてくれるだろう。
会計を済ませて立ち上がった少女の背中に、結局さっきのテストはなんだったのかと問いかけてみるが、「この出会いが運命であるとわたくしが言っても、すぐには信じて頂けないかと思ったのですわ」と返ってきただけだった。
連れ立って店を出たときには既にとっぷりと夜が更けていた。あぁ、そういえば、この少女の名前をまだ聞いていなかったような……。
「――! あなた、本っ当にわたくしの話を何も聞いていなかったのですわね! わたくしは一番はじめにちゃんと名乗りましたわよ!? もう、まったく……。わたくしは、不亜院愛夢と申しますわ。以後お見知りおきを」
声にならないような謎の音を出した後、そう言って少女は、スカートの裾をつまむ仕草をして見せる。不亜院愛夢、綺麗だけれどずいぶん変わった名前だ。いや、ちょっと待てよ? ふあいん、あいむ。アイムファイン? もしかして偽名を名乗られてしまったか?
「本名ですわっ! 怒りますわよっ!!」
これだから英語圏に来るのは嫌だったのですわ……、とぷんすか怒りながら彼女は先に立って歩き出したが、すぐに足を止めて寒々しい虚空を見上げた。
――夜空はいつも変わらないものだ。たとえ隕石が落ちてきて世界が混沌に巻き込まれようとも、きっと邪悪な権力がどこかで世界支配を企てようとも、僕らのそんな営みには関係なく、今日の夜空は、一年前の今日の夜空と同じだろうから。
「星が見えますわね」
立ち止まり、つられて天を仰ぎ見る。だけど街の光が明るすぎるのか、しばらく目を凝らしていても僕には何も見えなかった。彼女は随分良い目を持っているようだ。
「あら、あなたにもすぐに見えるようになりますわ」
不思議と確信めいた――あるいは信仰めいた口振りで、彼女がそう告げてきた。
「あえて言えば信念かしら? 心配することはありませんわ。あなたも、そしてわたくしも、『探索者』なのですから。世界の謎をそのままにはしておけない! 解き明かしたい衝動を抑えることができない! 新しい世界に触れたときのあの実感、パチパチする胸の高鳴りをもう一度! そういう『星』の下に生まれてきてしまったのですわ」
自分で言っていて面白くなったのか、彼女はクスリと小さく微笑んで見せた。そうやって笑っているほうが可愛いらしいと思ったが、また怒られそうなので口には出さないようにしよう。
「ばっちり聞こえていますわよ?」
しっかり怒られてしまった。
静まり返った街を、夜空を見ながら進む彼女の足取りに迷いはない。その身に纏う銀の飾りが付いた白いコートは、さながら宇宙の暗黒を切り裂く彗星のような煌めきだった。
――いや、いいかげん僕もいつまでもこんな傍観者みたいな口調でいるのはよそう。のこのこと呼び出しに応じて、目の前に置かれたグラスに口を付けた瞬間から、僕自身の物語が始まったのだから。
「そろそろお別れの時間ですわね。心配なさらないで、またすぐにお会いできますから。……あぁ、そうでしたわ」
先を行く彼女が、突然振り返って言う。
「あなたは、夜空はなぜ暗いのか、ご存知かしら?」
「なんだいそれは。なぞなぞ? それともテストの続きかい?」
「いいえ、これはクイズです♪」
「僕にはその違いがわからないけれど……。うーむ、人には休む時間が必要だから、とか?」
「見かけによらず、ロマンティシストみたいですわね。けれど、残念。不正解ですわ」
そう言って、彼女は上機嫌ににっこりと微笑みながら僕を見つめた。どうやら正解を教えてくれる気はないようだ。
「では、ご機嫌よう」
そう言い残してから、彼女の姿は星の瞬きのような光を残して消えていった。
「……まぁ良いけどね」
小さく肩を竦めて歩き出した。そんな僕の胸の中も、パチパチときめき始めていたのだから。
Illustrated by 接続設定 夜空はなぜ暗いのか、ご存知かしら?
彼女のことは、「夜空の探索者」というシナリオをプレイした人でなければ、だれも知らないだろうが、そんなことはかまわない。そのシナリオを書いたのはどこにでもいるような誰かさんで、おおすじでは本当のことが書いてある。少しは嘘っぱちがあるが、おおすじは本当だ。どうっていうほどのことではない。この世の誰だって、嘘をついたことのない人間なんてみたことがないだろう。その他にも、大昔の貴族のことや、酷い独裁者のこと、どこかの天使やよその国のえらい神さまのこと、宇宙についてのほんとのことがみんなその本の中に書いてある。だいたいは本当の話だ。さっきも言ったように、まぁ少しは嘘っぱちもあるけれどね。
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