――最初にクスリに手を出した時を覚えている。
――まるで夢みたいだった。
――悪い夢の始まりだなんて、その時は思いもしなかったんだ。
「クミチョー!」
アルバカーキの貧民街には不似合いな近代的なオフィスの一室に叫び声がこだまする。
叫んだチンピラは額から血を流している。
何かろくでもないことが起きていることは誰の目にも明らかだった。
「奴らだ! また奴らが攻めてきた! 外で遊んでた貧民街のガキを攫ってる!」
「数は?」
チンピラの涙ながらの訴えを聞くのは、忙しそうに書類仕事に打ち込んでいた東洋人だ。
サングラス、漆黒のスーツ・ネクタイ、そして腰にはコルトSAA。
「少なくとも十体……今回はムーンビーストは居ねえ! ミ=ゴだ! ミ=ゴだけだ!」
男は黙り込む。
この程度の問題も解決できなかった役立たず、逃げ出した腰抜け。
そんな風に思われているのではないかとチンピラの顔がみるみる青くなる。
チンピラにとって、東の国から来た彼のボスはあまりに苛烈な男だったからだ。
「ク、クミチョー?」
「伏せろ」
酷くそっけなく命令してから、男は腰から銃を抜く。
銃声は一発分、弾丸は三発分。
それでチンピラの背後に音も無く忍び寄っていた脚の生えたザリガニみたいな薄気味悪い怪物の頭部は胴体と永遠に泣き別れ。
もはやピクリとも動かない。
「さて、これで少なくとも九体になった訳だ」
「クミチョー!」
「お前はそいつを片付けておけ」
それから男はオフィスに居る数名の部下に通常業務を続けるように命令する。
「かしこまりました! クミチョーはどちらへ!?」
「俺は外を片付けてくる」
オフィスで事務作業を手伝っていた少女が、コルトに弾丸を詰め直す男の両肩にコートをかける。
「無事に帰ってきてくださいね、レイジロウさん」
レイジロウと呼ばれた男は返事をしない。
ただ少し口元を緩めるだけだ。
またすぐに気だるそうな表情に戻ってしまう。
「もう、冷たい人」
少女は不満そうに口を尖らせる。
ラジオが「諦めを踏破せよ《Carry On My Wayward Son》」と歌う。
――言われなくてもやってるさ。じゃなきゃ死ぬ
――そしてやった結果がこれさ。
――結局誰かが死んできた。
――そして俺も何時か死ぬ。
「何処で間違えたんだろうな《When did I break bad》?」
レイジロウはため息混じりに地獄と化したアルバカーキの路地裏へと飛び出した。
かくて今日もまた、悪魔のコルトが夜を撃つ。
※今回のシナリオは「激突!トランプ・ウォール」の前日譚として遊べるようにしてあります。
探索者たちは不死身の悪魔と呼ばれる“コービット”に取り憑かれてしまった。
朝も昼もなく襲いかかってくるコービットに対処する方法を探していた探索者たちは、アルバカーキの貧民街を支配する麻薬カルテルの幹部が「悪霊殺しのコルト」を持っているという噂を聞く。
夜もおちおち眠れなくなってしまった彼らは、インディアンの占い師の勧めも有り、一縷の望みをかけて麻薬カルテルの幹部“レイジロウ”に助力を求める。
探索者たちの話を聞いたレイジロウは、彼らを行きつけのカフェ「ツイスターズ」に呼び出し、依頼を行う。
※このシナリオの間、コービットによって近くにあるナイフなどが飛んでくる可能性がある
※KPはシナリオが盛り上がると判断した任意のタイミングでPLに幸運の判定をさせ、失敗した場合は耐久を1d3削る
※この幸運の判定は1セッションに3回までとする
不死身の悪魔コービットを無事に倒した場合、レイジロウは探索者たちに追加報酬として自前のデリンジャーを一つと価値Cの品物を探索者たちの人数分渡す。
デリンジャーのデータはCOP 357 MAGNUMを参照。ただしデリンジャーは神話生物の装甲を無視してダメージを算出できる。
加えてニューメキシコ近辺の神話生物が絡む事件ならば手を貸してくれるようになるかも知れない。
ブラック教授を探索者が殺した一件については、裏から司法に手を回してくれるので特に気にしなくても良いだろう。
深夜まで学生に実験を強いる教授の命などあなたたちのような善良な人間が気に病むものではない。
貧民街を助けてくれた探索者たちをレイジロウは好意的に送り出してくれることだろう。
「おかえりなさい。レイジロウさん」
秘書にした少女に血まみれのコートを預け、オフィスの地下にある私室で彼はソファーに寝そべる。
「あいつら、帰っちまったよ」
レイジロウは去りゆく英雄の背中を思い出し、残念そうに呟いた。
朝焼けの中を探索者たちが現れた時、レイジロウの心は確かに踊った。
――やってくれたんだなって、嬉しかったっけ。
――ああ、でも、ブラック教授を殺してくれたから嬉しかったのか?
「それは残念でしたね」
「まあな」
「あの人たちの話をする時、レイジロウさんったらなんだか楽しそうなんですもの。少し嫉妬しちゃうわ」
「そうか?」
レイジロウは思い出してみる。
――何か、化物共を殺す以外にも、すごく嬉しかったような気がする。
――ああ、でも、理由ってなんだったっけ。
――ああ、でも、俺にはもう分からないんだ。
レイジロウには、殺す以外の言葉を口にすることもできなくなってしまった自分が、酷く醜いもののように思われた。
「何処で間違えたんだろうな《When did I break bad》?」
レイジロウはまた己に問いかける。
隣で聞いていた少女が不思議そうに尋ねる。
「レイジロウさんは何時も悪魔を殺しているじゃないですか?」
「break badってのはそういう意味じゃないよ」
「私にとってはそういう意味です」
少女は上手いことをいったつもりになって胸を張る。
レイジロウは溜息をついて、少女の頭を撫でる。
「違う。そういうことじゃないんだ。俺があいつらを殺していたのは……ああ、ええと……」
「それ以外に必要なことがあるんですか?」
少女は不思議そうに首をかしげる。
「必要な……こと?」
レイジロウは考えてみる。
――組の経営、縄張りの維持、事業の拡大、そして手に入れた資金で神話生物を殺す。
――それだ。それこそが必要なことだ。
――次の戦い、その次の戦い、永遠に続く戦い《Long Train Running》の為に。
――今回会った探索者連中との縁もきっと使える。そう考えたからこそ俺は喜んだんだ。
そうやって思索を巡らす内に、また狂的な闘争心が湧き上がり始めていた。
彼は狂っていた。
「だが何時まで続く。何時まで殺し合えば良い。何人死ぬのを見送れば良い」
それでもこの日の彼は少し様子が違った。
少女はそれに驚きながらも、優しく囁く。
「私はあなたの傍に居ますよ」
「殺し合っているだけじゃ駄目なのは分かっているんだ。必要なのは根本的な解決で、だけど俺にはそれが――」
「レイジロウさん」
少女は少し厳しい声でレイジロウの話に割って入る。
「責めるなよシャーリー。探索者に会うと、不安になるんだよ。それだけだ」
「駄目です。貴方には皆を守る仕事があるんですから」
「おいおい、弱音も吐けないのか?」
「当然です。私以外の前では、絶対に許しません」
少女は優しく微笑む。
「……シャーリー」
「二人きりの時はギグイシャスと呼んで下さい。貴方と私の秘密の名前です」
そう言って少女はレイジロウを抱きしめると、彼に見えないように邪悪な笑みを浮かべた。
「……ああ」
何も知らないレイジロウは少女の背中に手を回す。
――今日は死なずに済んだ。
少女の柔らかな肌と金色に輝く髪に指を通せば、そんな安心感で全てがどうでも良くなる。
「What A Fool Believer, you are」
少女は誰にも聞こえないように囁いて、レイジロウの頬に唇を寄せた。
部屋の中のカセットレコーダーからは、ドゥービー・ブラザーズの「Long Train Running」が流れ続けていた。
愛もなく、血反吐を吐きながら走り続けるアメリカ人の歌が。
Illustrated by 接続設定 ほう……あんた、任侠だねえ
ある日、アルバカーキに流れ着き薬学知識と拳銃の腕で麻薬カルテルの幹部となった東洋人。
麻薬カルテルに身を置くものの仁義にはこだわりがある。
ドゥービー・ブラザーズと呼ばれるギャングチームを率いている。
麻薬で得た収益で貧民街の人々に炊き出しを行ったり、神話生物に親を奪われた子供を引き取ったりしている。
親しい人間には1998年の日本からやってきたことを話してくれる。
既に正気ではなく、神話生物への強い殺意に支配されており、神話生物を殺す為ならば麻薬を売りさばき金を貯めることに何の疑問も持たない。
目的と手段を既に取り違えてしまっており、異世界の発生という異常事態を解決するよりも、より激しい戦闘を行うことが目的になってしまっている。
とはいえ神話生物を殺すつもりのある相手には好意的で、麻薬カルテルと探索者たちの橋渡しも行ってくれる。
少女のお願いには弱い。少女ないしは幼児体型の女性が判定を成功させればより積極的に力になってくれることだろう。