何かが足りない。
イタリア・ミラノの中心部にある、とあるリストランテ(高級レストラン)でシェフ・ド・キュイジーヌ(総料理長)を務める私…パトリツィア・ロミテッリは、夜更けに厨房で考え事をしていた。
何かが、足りない……。
目の前にあるのは、食べかけのメインディッシュ。
仔牛のフィレステーキは、シンプルでありながら絶妙な火入れがされていて、この時期イタリアで収穫されたばかりのマンダリーノ(みかん)に、数種類のフルーツや野菜で作った特製のソースと香草の風味が、フィレの味をよく引き立たせていた。
我ながら美味しい。けれども……。
「なんか、なぁ……」
明確な言葉では表せない、不完全な感覚。
この料理はこれで完成だ。味も申し分ない。今すぐにでもコース料理に組み込める。
私の抱く不完全な感覚は、この料理に対してでは無いのだ。
私は、古今東西のあらゆる料理を知り尽くしている。
しかし、それでもなお料理への好奇心が尽きることが無い。
私を駆り立てるソレは、もはやこの世界では昇華…いや、消化しきれぬものとなっていた。
そうまでして成し遂げたいこと。それは、究極のコース料理を作ること。
しかし、生涯に掲げたその目標の為には、漠然とした考えでしかないがこの世界に存在する食材と料理だけでは足りない気がしていた。
どこかに無いかな、まだ見たことの無い食材が手に入る世界は。
この世界では見たことの無い料理の食べられる世界は。
そんな事を考えながら、私は気が付いたら厨房の椅子の上で座ったまま寝てしまっていた。
目を覚ますと、そこはだだっ広い荒野だった。
ギラギラと照りつける太陽が身を焦がし、吹き荒ぶ風が運ぶ土煙が目に痛い。
カラカラに乾いた喉に生唾を流し込むと、私は誰に言うわけでもなく呟いた。
「……ここ、どこ?」
ニューメキシコ、サンタフェ。
灼熱の太陽と、この世界ならではの多種多様な人間(単純に国籍と人種だけでなく、この世界は時にロボットや宇宙人、怪盗や奇術師、空飛ぶ魔法少女……なんかもやってくるらしい)に彩られた街に、私はやってきた。
あのあと近くを走る道路を見つけて、偶然通りかかった1台の車に拾われ、私はなんとかこの見ず知らずの街にたどり着いた……今思えば、本当に運が良かったとしか思えない。
ロバートと名乗った彼は、ちょうど仕事でサンタフェに向かっていたところだと私に話した。
車に乗ると、彼は私の境遇を聞いて「珍しい事でもない」等と宣い……その後はこの世界の事について色々教えて貰った。
ニューメキシコとは言っても、ここは私の住んでいた世界ではないらしい。
ナイアル・オブ・パラダイスと呼ばれるこの世界は、あらゆる時代、国、地域に住んでいた人々が、時空を超えて何者かに招かれた北アメリカ大陸南部に位置する閉鎖世界……だそうだ。
「混沌の異世界、ねぇ」
雑踏に紛れて、小さく呟く。
なんだか妙なことになってしまったけど、この世界ならもしかして……。
帰る方法とか、まぁそう言ったことも気にならない訳では無い。けれど、それ以上に今の私はワクワクしていた。
まだ見ぬ料理が、食材が、そこにあるかもしれない。
そう思うといてもたってもいられなくなり、街に来たばかりの私は、早速サンタフェの繁華街へ向かって駆け出した。
メキシコといえば(よくよく考えたらここはアメリカ国内だが)定番のタコス。
流石に美味しい。
小麦とトウモロコシそれぞれ原料の違うトルティーヤが売っていた。
ドネルケバブは、本場の味とは少し違ってジャパンで食べた時の味に似ていた。
ケチャマヨソースという、聞いたことのないソースは、まろやかであり刺激的な、不思議な味だった。
中華はどの国でも食べられるが、ここの中華は間違いなく1級品だ。
カントン式の中華はフカヒレやツバメの巣といった高級品から、シセン式中華のマーボードーフまであった。
ホアジャオのシビレがいつまでたっても取れない刺激的な逸品だ。
イタリアンは、私が作った方が美味しいかな。
それでも、トラットリア(大衆食堂)で食べるラザニアやボロネーゼといった家庭的なイタリア料理は、本格的なコース料理ばかり作っている私にとって、とても懐かしい味だった。
和食……スシ!スシだ!
ワザマエ(確かスシ・シェフをジャパンではこう呼んだはず)が作り出すスシの一つひとつは、絶妙な加減のヴィネガーライスとネタ、ソイソースが渾然一体となって織り成す調和の取れたアートだ!
……なんてこった!この世界はその成り立ちの影響か、あらゆる国、時代の料理が揃ってる!いくら金があっても足りない!
気がついた時、私の財布の中はほぼすっからかんになっていた。
なんとか理性をとどめて残したなけなしのお金は、今夜の宿代で消えてしまうだろう……いや、正直それすらも怪しい。
少しだけ反省しながら安宿を探して歩いていると、私はここまで私を乗せてきてくれたロバートと再会した。
どうやら恥ずかしい事に、私の噂は『謎の大食いアウトサイダー』としてすっかり住人に伝わっていた様で……それに加えて、ロバートは目ざとく「金はあるのか?」と私に聞いてきた。
私は下を向くしかなかった。
「その様子だと、今晩の宿代も怪しいようだな……そうだ、良ければここへ行くといい。確かイタリア人だったよな?」
そう言って、ロバートはメモ帳にサラサラと何かを書くと私に渡してきた。
そこには、酒場の名前が書かれていた。
「イタリア人のやってる店らしい。バル、と言ったかな?とりあえず、同じイタリア人のよしみで1晩くらいなら何とかしてくれるかもしれない。他にも、色々な人が集まっているから、仕事が見つかるかも」
私には彼が神様に見えた。荒野で拾われ、再会したと思えばまたもや私の窮地を救ってくれた。
礼を言うと「混沌世界の礼節に則っただけさ」とだけ言って、彼はこの街を後にした。
私は早速そのバルへと向かってみた。
バル・ストラノは大盛況だった。
あらゆる国籍、人種、色の人々が酒を酌み交わし、どんちゃん騒ぎを繰り広げる光景は、どこか奇妙なような……それでいて、私さえも受け入れてくれるような安心感があった。
ストラノのオーナー、ベルナルドは私の来店を歓迎してくれた。そして、私が料理人だったという話をすると、すぐに「家で住み込みで働けばいいさ!」と陽気に提案してくれた。
ありがたい。まさか宿だけでなく仕事も手に入るとは!
しかし、次にベルナルドは私に向かってこう言った。
「ただし嬢ちゃん、俺はアンタの腕を見ずして働かせるつもりは無い。まずはここにある材料を使って、なんでもいい。料理を作って見せてくれ!」
そう来なくっちゃ。私は勢いよく頷くと、ベルナルドからエプロンを投げ渡され、早速それを身に纏う。
そして冷蔵庫を開き……中にあるものを見て、目を丸くした。
「……ベルナルド、いくつか聞いていいかしら」
「なんだ?」
「この目玉だらけの肉……肉?は何?」
「ショゴス肉だ。ちっとばかし五月蝿いが、なに。火を通しゃあ静かになる。火入れ次第でフィレにもロースにも、ビーフにもポークにも。とにかく大体の肉を再現できる」
「このカニみたいなやつは?明らかに大きいんだけど……」
「そいつはミ=ゴだ。脳は珍味で酒のツマミには持ってこいだし、身はカニとエビの中間みたいな味と食感でなかなかいける。独特の臭みがあるから、下茹でをしっかりしないといけないがな」
「この見たことないうねる植物は……」
「トリフィドか?そいつは煮ても焼いても生でも美味い。しゃっきりポンとした食感と、爽やかな苦味にほのかな塩気がある。実から取れる油は、サラリとしつこく無くて揚げ物にうってつけだ!」
「こ、この透明なゼリー状のやつは!」
「星の精だ。寒天の様な触感だが、こいつは何でも吸い上げる不思議な細胞を持っている。その時々に合わせて吸わせる液体で味ががらりと変わるんだ」
他にも、見た事のない食材が出てくる出てくる……。
私は唖然とした。
なんだここは……この世界は……!
どれも、見たことない食材ばかりだ……!
「どうだ?出来そうか?」
私はベルナルドの方に振り向くと、また勢いよく頷いた。
多分、満面の笑みだったと思う。
背筋が震える。これが、サムライ・バイブレーションと言うやつか……!
今、私は腕を試されてるのだ。しかも、異世界由来の食材ばかりが目の前にあるこの状況で。未知の食材に対して、私のキュイジーヌ(料理人)としての腕が通用するかどうかを!
私は腕をまくると冷蔵庫からいくつか食材を取り出し、調理に取り掛かった。
ミ=ゴのカルパッチョ
トリフィドとノフ=ケーのタコス
ペペロンチーノ~炎の精仕立て~
ショゴスのステーキ~トリフィドソースを添えて~
ミ=ゴの炙りスシ脳味噌乗せ
星の精の7色ゼリー
中華風ごま餡入りヨグ=ソトース
ベルナルドに未知の食材の調理法を聞きながら、ざっと7品。
味も香りも彩りも斬新奇抜な料理の数々は、どれも一口でベルナルドのハートを撃ち抜き……新天地での私の生活は、とりあえず最高のスタートを切る事が出来た。
あれから数ヶ月。
この世界での生活もすっかり慣れて、今やこの世界で私の事を知らない人はほとんどいなくなった。
いつもひっきりなしに客が訪れ、日に日に増えていくクラフト・キュイジーナ(神話生物料理)を頼んでは、客達は舌づつみを打っている。
いつしか私は、ロマンツォ・ストラノ・キュイジ-ヌ(奇妙で奇抜な料理人)と呼ばれるようになった。変わった名前だけど、シェフ・ド・キュイジーヌ(総料理長)なんて言う重苦しい肩書きよりは気楽で私らしく、気に入っている。
でもまだまだ。私の目指す究極のフルコースはこんなものじゃない。
もっと、新しい食材を!まだ見ぬ料理を!
その為には……。
私は、店内の客を見渡して、テーブルを囲む何人かのグループに話しかけた。
……その為には、私自身も、時として食材の調達に出向かなきゃ!
「ねぇ!私と一緒に狩りに行かない?」
ナイアル・オブ・パラダイスで話題の料理人。パトリツィア・ロミテッリのいるバル・ストラノへと訪れた探索者達は、彼女の織り成す奇抜な料理に舌づつみを打っていると、突然彼女から食材探しを手伝って欲しいと持ちかけられる。
さて、神話生物と相対した探索者達は、ただ彼らをショットガンで蜂の巣にすれば良い訳では無い。
このあと調理することを考えれば、なるべく強力過ぎる銃火器の使用を控えてほしいと、パトリツィアに頼まれる。
ナイフや鈍器、ライフルなどが適当だろう。または素手で挑んでも構わない。
ショットガンは弾の処理が面倒だし、鉛中毒の危険性もある。爆発物なんてのはもってのほかだ。探索者達はこれらの事を考慮して武器を決定すること。
見事神話生物を捕獲することが出来れば、パトリツィアはそれを持ち帰ってすぐ様料理を作ってくれる。
見た目、彩り、香り、全てにおいて見たことない、あるいは強いクセのあるものかもしれないが、一流料理人であるパトリツィアの仕上げた料理はどれも最高の美食だ。
探索者達は神話生物を喰らうことで耐久値を1D4回復し、正気度を1点失う。
また、価値Cのアイテム『バル・ストラノ特別招待券』を1人1枚手に入れる(このアイテムをバル・ストラノで使用すると、このシナリオで得られる報酬と同じ効果をもう一度得られる)。
関連NPC
DEAエージェント ロバート・ワトソン
ロマンツォ・ストラノ・キュイジーヌ パトリツィア・ロミテッリ
ひとつ、言い忘れてた。
これからこの世界を訪れる人々の為に、最後に私の言葉を書いておく事にする。
人々はこの場所を『混沌の異世界』と呼ぶ。確かに、その言葉は端的かつ的確にこの世界を表していると思う。
全てのモノを受け入れ、全てのモノが自由な世界。たしか、この間うちに来た怪盗と怪傑の2人組が、そんなことを言ってたっけ。
けれど、私にとってこの世界はもっと素晴らしく、かつシンプルな言葉に置き換えられると思う。
そう……。
この世界は……パラダイスだ!
Illustrated by 接続設定
いつかの時代、イタリアのリストランテでシェフ・ド・キュイジーヌを務めていたパトリツィアは、究極のフルコースを作る事を目標に日々研鑽していた。しかし、彼女は本能的にこの世界に存在するあらゆる食材を用いても、それは自分の生きているうちには完成する事は無いと悟る。新たな食材、新たな料理を望む彼女の意思は混沌政界の邪神に汲み取られ……気が付いたら、彼女はこのナイアル・オブ・パラダイスに流れ着いていた。
その後バル・ストラノで働き始めた彼女は、その珍妙でありながらも恐ろしく美味な創作料理の数々で瞬く間にこの世界に名を広げていく事となる。いつしか、ロマンツォ・ストラノ・キュイジーヌと呼ばれるようになり、今日も究極のフルコースを作る為、試行錯誤を重ねながらストラノで働いている。
……だが、どうやら最近は文字通り自ら包丁を振るって食材の確保に出向くこともあるそうだ。