香港島【中環(セントラル)】。ここは混沌都市の中でも百万ドルの夜景が魅力的な都市の中心地。
【蘭桂坊(ランカイフォン)】は、欧米式ナイトクラブ感ある、オシャレな雰囲気漂うバーやレストランが集まる場所で、仕事帰りのサラリーマンや、様々な多国籍な人々が訪れる。
ジャズやテクノ、ファンクにロックなBGMが流れ、仲間達で楽しく会話するも良し、ワインやウイスキーでしっとり浸るも良し。
楽しく心地よい、静かで賑やかな夜の憩いの社交場だ。
そんな【蘭桂坊(ランカイフォン)】内にある、バー&レストランのひとつに。遠くに聞こえる喧騒と、クラシックでノスタルジーをBGMに。コップを磨くナイスミドルなマスターを脇目に。
数名の探索者達と一人の探偵が、テーブル席のソファーに腰掛け向かい合っている。
「やあ、こんばんは。助かるよ、君達が俺の仕事を手伝ってくれるんだって?」
この混沌都市に訪れたあなた、そしてその仲間の探索者達。あなたは、この世界で知り合った友人の頼みで、とある探偵が人手を欲しているので、手を貸して欲しいという相談を受けた。
探偵の名は【写楽家久(しゃらく いえひさ)】。2020年の日本からやってきた日本人の探偵で、この世界では探偵業兼、フリーの何でも屋として働いている。
そして彼の依頼は・・・
「君達に【ナイアーラトテップ】の調査をお願いしたい。」
ナイアーラトテップ。それはクトゥルフ神話に関わった者が、遠からず必ず知ることになる存在。数々のクトゥルフ神話の神性や神話生物の中でも、自由で異質なトリックスター。
ある時は教会の神父、ある時は凶暴な恐ろしい化け物、ある時は闇夜に潜む蝙蝠、ある時は傾国の毒婦。様々な性質、様々な姿形を持ち、この混沌都市と同様の多様性と変化を象徴する存在。
「俺はワケあって、ナイアーラトテップと縁が合ってね。」
あるいは遭ってしまってね。
探偵写楽は、この世界に来る前にナイアーラトテップと少なからず縁を持ち、この世界に来てからも、様々なナイアーラトテップの化身、あるいはその断片と出会ってきたそうだ。
「ヤツは掴みどころが無くてね。危険であるが危険でもない。ただ、何か起こった時か、起こる前にヤツの化身をひとつでも多く把握しておきたいんだ。」
君達には、その手伝いをして欲しい。と―――。
グラスを傾けながら探偵は語る。
「ヤツの化身はとても多くてね。とても俺一人じゃどうにも出来ない。君達以外にも、色々な化身を対応してくれている色々な仲間がいてね。君達にもその手伝いをして欲しいんだ。」
そう言うと、探偵は懐から一枚の写真を取り出し、テーブルに滑らせ、あなた達に見せる。
写真に写っているのは褐色肌で赤紫色の髪の女性。
「そいつは【普天虎藍那(ふてんこ あいな)】という名前の人間化身。この世界では、香港島【銅鑼湾(コーズウェイベイ)】の【香港中央図書館】で司書をしている。」
曰く、彼が一番最初に出会ったナイアーラトテップのひとつで、危険性は比較的低いが、最近 図書館から様々な書籍を抱えて、どこかへ向かっている姿を頻繁に目撃されているそうだ。しかし、どんな本をどこへ持って行っているかは、誰も知らない。
「他の化身に比べ、比較的危険性は低い・・・と、思う。杞憂であれば良いんだが、ヤツに対しては心配しすぎるということは無いからね。」
「君達には、彼女が、何を、どこへ、どんな目的で、持って行っているのかを、尾行して、調べて欲しい。」
【尾行して】【調べて欲しい】。
探偵は念を押して、二度言った。
目的は、調査であって、邪魔したり、止めたり、ましてや倒そうとすることではない。
何をしているかを知ることが目的なのであって、下手に知られたり、気取られたり、刺激すれば、自ずと危険を招く可能性も否定できない。
「つまり君達に【探偵】してほしいんだ。」
報酬は成功報酬。
【銅鑼湾(コーズウェイベイ)】の【香港中央図書館】で、張っていれば、書籍を抱えた【普天虎藍那】は簡単に見つけられる。
見つけたら、気づかれないよう尾行してもらえればいい。
「ちなみに、他の図書館員や、地域住民は何も知らんぜ。既に調査済みだ。」
【尾行して】【調べて欲しい】。
「頼んだぜ、探索者達。」
探偵は、あなた達をそう呼ぶと、連絡用の名刺と勘定を置き、店を出て夜の街に消えていった。
探索者達は、この世界で知り合った友人から、探偵【写楽家久】の仕事を手伝って欲しいと相談を持ちかけられる。友人から待ち合わせ場所である【中環(セントラル)】の【蘭桂坊(ランカイフォン)】という場所を聞き、そこに赴くと【写楽家久】から、ナイアーラトテップの化身【普天虎藍那】の尾行調査依頼を受けることが出来る。次の日以降、【銅鑼湾(コーズウェイベイ)】の【香港中央図書館】で、張っていれば【普天虎藍那】を見つけることができ、そこから尾行を行うことが出来る。
【普天虎藍那】の問いや依頼を拒んだ場合、再び周囲は蜃気楼に包まれ、探索者達は蜃気楼に入る前の場所に戻る。この場合でも、【普天虎藍那】の「目的」は理解できているので、これを【写楽家久】に伝えれば、依頼は達成となるが、尾行の過程で立ち寄った場所の「最終的な報酬の変化」は、報酬に反映されなくなる。
どちらの場合でも、【写楽家久】の元に戻り、目的と話せば依頼は達成し、報酬を貰うことができる。【普天虎藍那】から品物を貰った場合は、【写楽家久】がそれらを確認したうえで、その品物は探索者達の好きにして構わないと、渡してくれる。
【香港中央図書館】から【普天虎藍那】を尾行し、いくつかの場所で手掛かりを得た探索者達。
ふと気がつくと、ふいに周囲の景色が幻影の蜃気楼のように歪み、幻想のモヤのようなものが立ち込める。
先へ進もうとも、来た道を戻ろうとも、見える周囲の景色は変わらず、どんなに移動しても変化せず。
ここにいるのに、ここにいない。先へ進んでいるのに、先へ進んでいない。周囲の景色が見えているのに、自分がどこにいるのかわからないという、実に不可解な状況が探索者を襲う。それはまるで、触れれない試験管の中に入れられたような。すり抜けるマジックミラーに囲まれたような。万華鏡の世界に取り込まれてしまったような、実に、実に、実に奇妙な感覚。
何をしてもどうにもできない。その状況が次第に理解でき、焦燥から恐怖へ、恐怖から錯乱へ、錯乱から自分の世界観が足元から崩れる感覚に襲われようというとき、周囲の蜃気楼は次第に晴れ、まるでクロスフェードするかのように、辺りは広大な図書館へと景色を変える。
そこは薄暗く、そこは果てが見えない広大な図書館。周囲には際限の無いほど埋め尽くされた書架で溢れかえり、それらが宇宙空間のように宙に浮いている。図書館の壁や柱の各所には、機械やコンピューターが見受けられ、そこから発せられるデジタルの糸、あるいは網のようなものが、全ての書架と繋がり、薄暗く広大な場所に、デジタルウェブを形成している。
その印象は、さながらに知識の書庫、デジタルアーカイブ、空想具現化した電脳図書館という言葉が相応しい。
探索者がそんな周囲の様子を確認していると、コツコツコツ・・・ と、静寂な図書館にとてもよく残響する靴音が近づいてくる。
「ようこそ探索者の皆さん。私の名前は・・・ ここまで来られたのなら、もうご存知でしょうか?ここは、世界各地に存在する混沌の空間を繋ぐ、知識と情報の保管場所【混沌世界の電脳図書館(ビブリオテック)】という場所です。」
【普天虎藍那】は、この不可思議な図書館の説明をしながら、自身が混沌の化身ナイアーラトテップのひとつであること、そして混沌都市には、自身以外の化身が数多くはびこり、それらに混沌都市を破壊されてしまわないよう、様々な場所で情報を集め、監視しているという目的を教えてくれる。
「私のことと、私の目的はこのような感じです。さて、私は話しましたよ?あなた達が、何故私を尾行し、誰の依頼で、何の目的でここに辿り着いたかを教えて頂けますか?」
ここに訪れた探索者は、混沌の化身のひとつと相対して、自身のことを素直に話すだろうか。あるいは、内なる恐怖に負け、話すことを拒むだろうか。だが、それは些細な問題にすぎない。なぜなら、この混沌の化身にとって、人間の思惑を見通すことなど容易であり、それを知ることが目的ではないからだ。
人間がどう反応し、どう思い、どう感じ、どう動くか。そういった過程、文脈、彼らの物語を楽しむことこそが化身の楽しみであり、愉悦であるのだから。
人間が化身と向き合い、能動的に行動すれば、化身はそれに応え、人間にさらなる知識や情報を与えるだろう。
人間が化身を恐れ、向き合うことを止めれば、化身も人間に興味を無くし、物語はあっさりと終わりを告げるだろう。
行動し、与えれば、それに応えられ、また受け取ることができる。世界がたとえ混沌であろうとも、そのような因果は何者でも逃れられない。
なぜなら世界はそのように出来ているのだから。
そこにただひとつの例外も存在しない。
たったひとつも存在しない。
もし、自身の考えに例外を思いつく者があったとしても。
その者はまだ、世界がそのように出来ているということを、知らない。
知らないということすら、知らない。
知らないということすら、知らないから。
その者は、世界がそのように出来ているということを知ることができないのだ。
それを知ることが出来れば、きっと世界の混沌と秩序は、同じだということが理解できるだろう。
そして、その理解を持って、恐怖を乗り越え、行動することが出来るだろう。
さあ、あなたはどうする?
「・・・なるほど。目的は違えど、手段は同じだったわけだ。」
香港島【中環(セントラル)】。
尾行の依頼を終えた探索者達は、再び【蘭桂坊(ランカイフォン)】で、写楽と相対する。
スゥー・・・と、吸いながら虚空を見て、テーブルをコツコツを叩き。
コツ。
と。
視線を戻し、探索者達を見据える。
コツ。
そして、まぶたを閉じ、ふぅ・・・と、息を吐く。
「オーケー、わかった。君達の協力に感謝する。」
そう言いながら、懐から報酬を取り出し、スッとテーブルの上へ滑らせる。
「正直、今はまだなんとも言えないといった感じかな。君たちのおかげでヤツの目的は理解できたが・・・。」
ギシリと深く座りこむ。
「今回の調査で解決なんてことはなくて、むしろ始まりだろう。これからが。」
はぁっ と。今度は疲れたような息を漏らす。
「今回の依頼はこれで完了だ。もしかしたら、君達にまた手を借りたい時が、近いうちにあるかもしれない。その時はよろしく頼むよ。」
今度はそう言いながら、席を立ち。
「頼んだぜ、探索者達。」
探偵は、あなた達を再びそう呼ぶと、勘定を置き、店を出て夜の街に消えていった。
Illustrated by 接続設定 君達に【ナイアーラトテップ】の調査をお願いしたい。
TRPG動画「初めてのクトゥルフ」に登場する探索者。現代日本でナイアーラトテップと縁を持ち、その後 各国で様々な神話的事件に関わり、本書の香港に到る。本書の世界でもナイアーラトテップ関係の事件と、その動向を追い、探索者達に依頼を出したり、相棒の刑事とともに探索を行ったりしている。
Illustrated by 接続設定 ようこそ探索者の皆さん。
TRPG動画「初めてのクトゥルフ」に登場する進行役。様々なクトゥルフ神話作品に登場する無数のナイアーラトテップのうちのひとつ。他の化身と違い、怪物じみたパワフルな力や、エキセントリックな超常現象を起こす力などの、特別な能力を持たない。