『今日』も、クソッタレな一日だった。
寝る前にセットしたはずの目覚まし時計はだんまりで、起きりゃ昼過ぎ。
急いで向かった面接先では当然相手もされず、不合格。
昼飯に食ったバーガーはびっくりするほどクソマズくて、隣に座ったご機嫌なゲイには尻を撫でられた。嫌な予感がして、店から急いで出たら、急に雨が降っていて、一着しか持ってないスーツがびしょぬれになる。
つまり今日は、最高にツイてない、クソッタレな日というわけだ。
雨に濡れて湿気た煙草には火はつきそうにない。苛立ち、たばこを放り投げたのと同時にライターまで吹っ飛んだ。深いため息をついている間にも、雨はひどくなってきやがる。どうしようもない苛立ちを雨は流すどころか温めていく。身体は冷やすくせに。
表通りを歩く気が無くなって、裏路地へと入って誰にも見られぬように歩く――
こんな醜い姿なんて見られてたまるものか。何もかも拒絶して家の中に引きこもりたくて仕方がなくなる。それくらい、俺はキていた。薬があるならキめて楽になりたい。しかしそんな金はどこにもない。食うのも生きるのも金が要る。だからこそ俺は――
ニァッ――
猫の『悲鳴』が聞こえたような気がした。その声が確かに貴方を呼び止めた。目だけでその猫の行方を捜す。
探してどうする? 助ける気か? こんな俺が助けられるのか?
わからない。それでも、なんだか理由はわからないが、『呼ばれた』気がしたんだ。
俺はその猫を探して、裏路地を彷徨う。
猫は案外近くにいた。
ぐったりと倒れた子猫の周りにガラの悪そうなガキ共がいる。
ガキ共は小汚い猫を蹴り上げ、そいつが鳴くたびにゲラゲラと笑っている。雨に濡れた道の上に、やけに鮮やかな赤が点々と広がっており、灰色がかった俺の世界に色を付けていく。
身体の中で、ぐっと熱が上がるのがわかった。
猫が苦しむ声を聞くたびに、ふつふつと怒りがわいてくる。その小汚い猫に自分を重ねて、ただひたすら勝手に怒っているだけだということに気が付くのに時間はさほどかからなかった。
しかし、それでもいい。
俺は近くに転がっていた錆びた鉄パイプを握りしめて、ガキ共に向かって声をかけた。
「おい、お前ら。こんな昼間から弱いものイジメだなんてご機嫌だな。学校で自分より弱いものはいじめるなって習わなかったか? 」
鉄パイプをガキ共に見えないように背中に隠しながら、近づく。後ろから見られたら襲おうとしているのがバレバレだ。『楽しく遊んでいる』のに、邪魔が入ったんだ。こっちに敵視が向かないわけがない。
口喧嘩にもならない汚い言葉をあびせられたが、弱っている子猫を見てすぐに喧嘩をおっぱじめた。相手もその気だったみたいで、子猫を離して、俺とダンスを踊ってくれた。それもご丁寧に複数人で、だ。痛みが酷い熱さに変って、熱くて熱くてたまらなくなる。
灰色の空から落ちる大粒の雨。雨に打たれながらもひどく楽しそうな顔をしながら俺をボコボコにするガキ共。手加減なんて知らねぇんだって今になって気づいたよ。俺もこの年頃の時はそうだった。あぁ、そうだった。喧嘩なんか吹っ掛けたこともなかったけど、よく巻き込まれたっけ。その時もこんな感じでさ、ボコボコにされて。
変な笑い声が漏れた。あぁ、滑稽だ。大人になっても俺は何も変わりはしない。子猫一匹満足に助けられねぇ。なにも、できやしなかったんだ。俺は、ただひたすら自分の人生が何だったのか、頭の中で問わずには言われなかった。
視界の端で大人の白猫が子猫に近寄るのが見えた。あぁ、よかった。子猫の仲間だろうか、いや、今はなんだっていい、その子を逃がしてさえくれれば。俺は救えなかった。でも、お前がその子を救えるのなら、救ってくれ。酷い熱が頭まで回ってきやがって、だんだんと意識がもうろうとしてくる。何にも、見えなくなっていく、そのことに不思議と恐怖はなかった。
子猫にたくさんの猫が近寄っていく。毛の長い一匹の猫が子猫を咥えてどこかへと消えていった。しかし、子猫を囲んでいた猫達はこちらを向いたままだった。
虚ろな目で別の方向を見ていたせいかガキ共も猫の存在に気が付く。ケラケラと下品に笑いながら、その一人が猫に近づく――
何が起こったか。
俺にはわからなかった。まるで漫画を読んでいる気分だった。猫達がガキに飛びかかり、引掻き、のどぼとけをつぶし、もがき苦しむソイツを何度も襲う姿。まるでチープな個人ホラー映画の一シーンのようだった。仲間が殺され唖然としていた他のガキ共も同じように襲われていく。恐怖もなにも感じなかった。ひどい寒さに身体が、心が、冷え切っていたのかもしれない。身体を覆っているはずの酷い熱さえももう感じない。仲間を捨てて、ガキが一人、別の道へと逃げていく。猫達はそれを追わなかった。その代り、猫達は俺のところへとやってきた。
鍵尻尾の白猫がやってきて、見下ろしてきた。
「ひっどい怪我だにゃ。死にかけの匂いがする。うまそうな肉の匂いにゃ」
目の前の猫はそう話すと、ぺろりと頬を舐めてきた。やや痛いザラリとした感触のおかげでなんとなく、これが現実なのだと感じた。どんなイベントに巻き込まれちまった。これが巷で噂のしゃべる猫か? 死ぬ前に珍しいもんがみれたな。はは。
「しっかし、お前はまだ死なせるわけにゃーいかにゃいんだにゃ、これが。お前は、僕らのにゃかまを助けてくれた。だから、お前を僕らも助ける。が、しかし、お前が歯向かったガキ共はここらを仕切るマフィアの脚の一つにゃ。……よーするにここで介抱して生き残ったとしても、お前にゃーいきていく場所にゃんかないのにゃ」
なら、ほっといてくれよ。声に出そうとしたが、掠れて音にもなりゃしない。なにも言えない俺を察してか、猫は続ける。
「お前の身体が、心が、意識が、アレに勝てさえすれば、最高の場所にご招待できるにゃ。そこにいけば、お前は晴れて自由の身。あーんなマフィアなんか追ってこれさえしにゃい。……さぁ、どうする? 僕の手を取るか、このまま野垂れ死ぬか」
誰かが走って近づいてくる、そんな足音がする。考えている猶予はなさそうだ。そして、意識も辛うじて保てているだけ。そんな俺が、こんな不幸な俺がこれ以上不幸になることなど、ありえるだろうか。……いや、あるわけがない。今が、最高に不幸なんだ。だから、だからこそ、俺は――
気が付けば、鍵尻尾の大きな白猫の背に俺はしがみついていた。
目の前でびっくりするほどに流暢な『型にはまった』英語を話していた鍵尻尾の白猫が大きくなりやがった。それに動じず、連れてけと辛うじて声を出した俺の前であの白猫はにんまりと笑ってこういったんだ。
「今日から僕らは兄弟にゃ。お前は末の弟。にゃらば、兄である僕らは、お前を――助けねばにゃらんにゃ」
バタバタと大きな足音を立てて近づくガキ共が目に付く。追手だ。身体を起こそうとしたが起きられずじたばたする俺を白猫がまるで子猫のように加えて空に放り投げる。一瞬の浮遊感。すぐにもふんとした毛の上に俺は落ちた。走り出しそうな気配を感じて、しっかりと毛をつかむ。白猫は大きく鳴き声を上げると、すぐに走り出した――
ガキ共が銃を撃っても、走り続ける猫達はするりと避けていく。大きな白猫でさえ銃弾は当たらない。――なんて下手なんだ!
「僕はカギー! 末の弟、お前はこれから新たな世界へと転がり込む! でも忘れるな! 迷わず進めばその先に必ず――あの世界が待っているのだから! 」
カギーと名乗った白猫が大きな声で意味不明なことを言っている。しかし、なんだか心が軽くなって、意識がはっきりとしてきた。わくわくしているのだ、死にかけてもうだめだと思ったこの灰色の世界かおさらばして、新たな世界に行くことに。本当に新しい世界が、俺がいていい世界があるのかなんてわからない。でも、俺は。そう、俺は、新たな世界へと、行きたい!
路地裏を走り続けていたはずなのに、どっぷりとした闇の中へと入り込んだ。もう、ここがどこだかわからない。酷い熱に侵されてい身体にはそんな様子は一切なく、回復しきったと言わんばかりに身体の自由を感じた。走っていたはずの白猫の大きな背中も、周りを走っていた猫達の姿もない。鳴き声が聞こえるのに、今この闇の中、俺は一人で突っ立っていた。
「次、目を覚ましたときは、名前を教えてくれ、にゃ」
カギーの声が聞こえたのと同時に、猫の鳴き声も何もかもが聞こえなくなる。ひどい無音の世界が広がっていた。ここはどこだろう。俺はどこに行けばいいのだろう。深い不安に足の重みが増し、前に進まなくなる。でも、俺は諦めてはいけない。新しい世界を見るために、カギーにまた出会うために、俺は先に進まねばならぬのだから。
カギー達とはぐれた探索者は暗闇を彷徨っていた。ここがどこなのか、なんなのか、そんなことわかるはずもない。ただ、わかるのは。だんだんと、体力の限界が近づいてきているということ、それだけ。探索者は「新たな世界」を求めて、この暗闇を――探索することにした。
<幸運>の判定に成功するか、「鏡の底に眠るもの」を倒すことで達成される。気が付けば手に不思議な輝きを放つ装飾品を持っている。
紅榴石の装飾品
不思議な輝きを放つ装飾品。MPを1D5点支払う代わりに、「鏡の底に眠るもの」を召喚することができる。
鏡が突然光だして、俺の視界はホワイトアウトした。
柔らかで温かい何かの上で、俺は目を覚ました。沢山の猫が俺を覗き込み、頬を肉球でつついてみたり、指先をベロベロ舐めていたりしている。驚いて身体を起こすと、俺は見知らぬ場所にいた。
「おお、起きたか末の弟よ! 新たな世界へ歓迎しよう!」
もぞりと起き上がったカギーがキランと光ると、人型へと姿を変えていた。小学生くらいの猫耳の生えた子供だ。白い耳と鍵尻尾があるおかげでカギーだと認識できている。
「この程度で驚いていてはこの世界で驚いて死んでしまうかもしれにゃいな」
にゃっにゃっにゃーと笑うカギーと俺を囲むように猫がぞろぞろと集まってくる。もふもふの毛が足に当たってくすぐったい。
「ここは混沌の世界『ナイアル・オブ・パラダイス』。ここに来たお前はもう、自由にゃ。自由を謳歌せよ――末の弟よ!」
にゃにゃっとわらうカギーにつられて俺はひどく嬉しくなって涙を流した。あぁ、自由を謳歌しよう。俺は汚泥に浸かった灰色の世界なんていらない。この目の前に広がる極彩色の世界で、新たな家族と共に歩んでいこう。どんな未来が待っていようとも、俺は、もう、俺を諦めない。そう、心に誓って。
Illustrated by 接続設定 きょうだい! 僕についてくるにゃ!
鍵尻尾の化け猫。7生目の猫生を自由気ままに生きている。人間の姿に化けて、金を荒稼ぎしており、その金を使って猫が安心して暮らせる世界を築き上げようと模索している。そのためには、人間の力が不可欠であると考えており、なんとか仲良くやっていけないか考えつつ、日々金を稼いでいる。