ああ、夜の黒よ宵闇に潜む者どもよ。
汝らは快楽に溺れ、堕落を貪る者どもよ。
溢れる鮮烈な飛沫を身に受け、恍惚する者どもよ。
強欲を訴え、死すべき明るき者に、恐怖の影をもたらす者どもよ。
我らインモラル・サナトリウム。混沌の使者を崇める者たち。
我らインモラル・サナトリウム。鮮血の貴人を崇める者たち。
憤怒よ来れ、高慢よ来れ、虚偽よ来れ、嫉妬よ来れ。
強欲よ来れ、恐怖よ来れ、暴食よ来れ、色欲よ来れ、怠惰よ来れ。
我らは汝らを許そう。汝らの悪徳の全てを許そう。汝らの不道徳の全てを受け入れよう。
我らインモラル・サナトリウム。我らインモラル・サナトリウム。
我ら不道徳の女王を崇める者たち。
聖なる都市は血に染まった。
混沌都市ナイアル・ネオ・ファンタズマ。その地区のひとつ、マカオの『聖安多尼堂(サンアントニオ)』。
その地区は、教会、広場、墓地、天主堂などをはじめとした歴史的建造物、遺跡、世界遺産などのキリスト教に縁ある様々なものが存在する場所。
教会組織により設けられた規律とその活動により、混沌たる都市の中でも、随一の秩序と安全を保った住みやすい場所とされ、信仰心ある教徒を中心に、心の安寧を求める人々が安らかに日々を過ごせる場所となっていた。
しかし、その聖なる都市は血に染まった。
最初の事件は歴史的観光地でもある、とある広場で起こった。
広場の中心に噴水。そしてそこに突き刺さるように遺棄された死体。腕や脚、背骨はおろか、手足の指一本一本ひ至るまで、すべての骨という骨、関節という関節が、グニャグニャにひしゃげ、折れ曲がり、皮膚には亀裂が走り、肉が裂け、そこかしこから鮮血を吹き出し、辺り一面を文字通り真紅に染め上げ、血の海をつくっていた。
その凄惨かつ異常な殺人事件は、安寧に暮らしていた人々の背中に冷えた氷を突き刺し、金属の鈍器で頭部を撃ち貫くほどの衝撃を与えたのは、言うまでもないだろう。
混沌都市の中でも異常を極めるその事件が起こってしまったために、随一の秩序と安全を保った場所は、随一の恐怖と未知なる危険孕んだ場所に変貌してしまったのだから。
犯人は誰か?どうやったのか?そもそも人間の仕業なのか?異常な生物が潜んでいるのではないか?
いや、これは魔術だ。いや、パワフルなアンドロイドが暴走して、人間に復讐をしたんだ。
いや、手の込んだ狂人の自殺だ。いや、この世界そのものに何か原因があるのかもしれない。
人々の不安が良からぬ想像を掻き立てる。想像が良からぬ噂を呼ぶ。
混沌都市の警察組織が調査に入るも、膨大に存在する都市の事件のひとつに多くの時間を割けず、解決もしないまま、調査は保留となる。
噂が根拠の無いものとして飛び交い、流言飛語、デマゴーグとして人々をさらに翻弄する。
教会組織が警察に替わって調査に乗り出すも、事件は解決できず、それどころか、さらなる犠牲者が出てしまう。二人目、三人目、四人目… と犠牲者は相次ぎ、いずれも体をグニャグニャにへし折り曲げた肉塊が、周囲一面を血の海に染め上げる。
デマゴーグに、ルサンチマンを抱えていた者達がルーマーとなり、さらに人々を混乱に貶めていく。
誰の仕業だ。何のせいだ。何が理由だ。
犯人を突き止めろ。原因を突き止めろ。
真実を探せ。正解を探せ。
あれのせいに違いない。これのせいに違いない。
きっとあれのせいだ。これのせいに決まっている。
人々は地区から逃げ、あるいは安全のため家に閉じこもり、かつて温かく平和だった『聖安多尼堂(サンアントニオ)』は、いつしか淀んだ空気が蔓延り、人が人を疑い影から覗き見る、荒んで静かで不気味な場所となっていた。
「そしてつい先日。この地区の不幸と凄惨を決定づける事件が起きてしまいました。」
薄明りの中、聖人『フランシスコ・ザビエル』は語る。
数週間前から、神の啓示を受けたという一人の少女が、街中を奔走していた。声を張り上げ、戸口を叩いては尋ね、道行く人の足を止めさせ、人々に救いの手を求めて、そして真実を届けるために。
「魔女を復活させては駄目!彼らは魔女を復活させようとしているの!血を流して死んでいった人々は魔女の生贄なの!」
「聖なる規律を守って!聖なる内側の声に耳を傾けて!聖なる私達と隣人を愛して!」
「そして、善良な心を取り戻して!そうすれば、魔女の復活は妨げられ、街に再び平和が必ず戻る!」
「彼女は幾度も幾度もそう叫んで、人々に訴えかけ、善良な心を取り戻そうとする善き行いをしました。私も教会も彼女を応援し、共に行動しました。そんな甲斐あってか、人々は彼女の行動に心を打たれ、徐々に善良な心を取り戻しつつあったのです。」
だが、しかし。
しかし。
しかし、凄惨は起きてしまった。悲劇は起きてしまった。
場所は聖なる広場。彼女が教会の者達とともに、その中心になり、人々に訴えかける声を出していた頃。
彼女の声に感動した人々が広場に意識を向け、大いなる善性を取り戻し、多くの人々が集まったころ。
グキリと。
多くの人々が彼女を見守る中で。
「彼女の首が… 有り得ない方向に折れ曲がったのです。」
そこからはとても直視できないほど、酷く惨たらしいもので。
彼女は口から血を吐きながら、声にならない声、嗚咽のような悲鳴の音を吐き出しながら、まるで踊りでも踊っているかのように、体のそこかしこを有り得ない方向に、バキバキとグキグキと、思い出しても耳を覆いたくなるような、肉や骨の軋むようなえげつない音を出しながら、壊れたおもちゃのように奇怪な動きを始めたのです。
「思い返しても、直視できない、耳を塞ぎたくなるような凄惨さだったのに…。」
人間の身体はそうは出来ていない。
あまりにも恐ろしいものを目前にした時、思考や脳の機能、その命令体系にシャットダウンが入り、目を閉じたりだとか、耳を塞いだりだとか、その場から逃げたりだとか、そういった機能が機能しなくなる。それゆえに、機能を停止したまま、目前のそれを捉えてしまう。いや、囚われてしまう。
「気絶できた者は、まだ幸せだったのかもしれませんね。」
彼女の裂けた皮膚、裂けた関節、裂けた肉から血が噴き出す。
目から血の涙を流し、口からはゴボゴボと反吐混じりの泡を吐き、想像を絶する苦痛である筈なのに、その意識を手放すこともできず、顔の皮膚は引きつって醜悪に歪み、まるで老婆のよう。
だというのに、その表情は頬を染め恍惚とし、まるで快楽に震えて痙攣するかのように、悍ましい歓喜を浮かべている。
周囲は血の海に染められ、彼女の死の舞踏が終わりに近づく時。
その場で、意識を保っていた誰もが見ました。
その場で、意識を保っていた誰もが聞きました。
彼女の身体から天に向かって伸びる、糸のような赤い血を。
まるで彼女を操り人形のように弄んでいるかのような、不道徳な女王の幻影を。
そして、女王を崇める者達のその声を。
ああ、夜の黒よ宵闇に潜む者どもよ。
汝らは快楽に溺れ、堕落を貪る者どもよ。
溢れる鮮烈な飛沫を身に受け、恍惚する者どもよ。
強欲を訴え、死すべき明るき者に、恐怖の影をもたらす者どもよ。
我らインモラル・サナトリウム。混沌の使者を崇める者たち。
我らインモラル・サナトリウム。鮮血の貴人を崇める者たち。
憤怒よ来れ、高慢よ来れ、虚偽よ来れ、嫉妬よ来れ。
強欲よ来れ、恐怖よ来れ、暴食よ来れ、色欲よ来れ、怠惰よ来れ。
我らは汝らを許そう。
汝らの悪徳の全てを許そう。
汝らの不道徳の全てを受け入れよう。
我らインモラル・サナトリウム。我らインモラル・サナトリウム。
我ら。
不道徳の女王を崇める者たち。
「…今、教会は力を失い、この街はインモラル・サナトリウムの手に落ちています。」
事実、表面上どこか仄暗く、人気の無い寂しい雰囲気の街は、裏路地、戸口、二階の窓、そこかしこから、奥底に潜んだ何者かの、得体の知れない悍ましい存在の、名状しがたい粘りつくような悪寒を感じる。
「不道徳の女王は、私達に牙を剥いて襲い掛かって来る強大な怪物ではありませんし、正気を破壊するような醜悪な外見でもありません。未知なる驚異のテクノロジーを使いこなしたり、呪術や魔術で脅威を脅かすこともありません。」
「ですが、不道徳なのです。恐ろしいまでに、女王は不道徳なのです。」
「幸い、女王はまだ復活はしてないようです。ですがそう遠くないでしょう。貴方達にお願いしたいのは、この街のどこかにあるインモラル・サナトリウムの拠点を突き止め、復活のための行いを阻止して欲しいのです。」
ザビエル曰く、この街の者達は女王の幻影を目撃してしまった恐怖から、何者も抗える正気も気力も喪失しているという。
「この世界に住む人々は、とても強い意志を持ち、行動し、強力な技術や力であらゆる脅威に立ち向かえる勇気を備えているでしょう。欲にまみれた混沌都市であっても、時にはそれに惑わされようとも、内なる善性、内なる良心、内なる道徳が経験の中で目覚めることで、善き行いをしていくことが出来るでしょう。」
「ですが、不道徳なのです。恐ろしいまでに、女王は不道徳なのです。」
この世界では、良いも悪いも存在し、また存在しない。多様性の中では、善悪の基準があり、基準が無い。
絶対的に揺るがない善性、正義、信念。そういったものを自己の内側に持っていれば、恐ろしい不道徳に負けずにはいられるかもしれないが、悩み、戸惑い、考えてしまう意志ある者は、そのような絶対的なものに到達出来ていない。
あるいはこの世界では、そういったものを持つ者のことを、常軌を逸した狂人と呼ぶのだが…。
「インモラル・サナトリウムの拠点を突き止め、不道徳の復活を阻止して下さい。」
人はちょっと背中を押されるだけで。
「不道徳に堕ちそうになった時、私達人間に出来ることはありません。」
驚くほど簡単に狂気に堕ちていく。
「すぐに、逃げてください」
『聖安多尼堂(サンアントニオ)』で起こった凄惨な事件は、不道徳の女王が復活するという噂とともに、ナイアル・ネオ・ファンタズマに広く駆け抜ける。警察は動けず、教会は力を失い、現地住人は正気も気力も喪失している。もし女王が復活すれば、その危険は遅かれ早かれ自分達の元にもやってくるだろうことは、容易に想像出来るだろう。
正義感、使命感、純粋な興味、あるいは守るべきものの為。探索者はそれぞれの理由で、『聖安多尼堂(サンアントニオ)』に赴き、教会のザビエルから話を聞いて、依頼を受けることになる。
復活を阻止した場合
六番目の探索者が行動するまでに、ローブの者達を倒すことが出来たなら、女王が復活しようとする悪寒は消え、インモラル・サナトリウム(の残党)を壊滅できると共に、『聖安多尼堂(サンアントニオ)』を救うことが出来る。踊り狂っていた人の負傷度合いは、状況により異なるが、その人物が命を落とすことはない。だが、治療や入院は必須な筈だ。KPは負傷の度合いを改めてPLに伝えるとともに、入院の簡単な描写を伝えること。インモラル・サナトリウム及び、不道徳の女王の脅威から『聖安多尼堂(サンアントニオ)』を救うことが出来たので、ザビエルから報酬を貰える。
復活を阻止できなかった場合
六番目の探索者行動後、ローブの者達が残っていようといまいと、不道徳の女王は復活してしまう。ローブの者達の不道徳の女王を崇める言葉と共に、女王は復活し、探索者の周囲の全てを血の鮮血の空間に染め上げ、まるで地獄のような場所と錯覚させるような恐怖を与える。1/1D10の正気度喪失。
さらに、次第に探索者達の身体が自身の意識とは別にブルブルと震えだし、身体が踊り折れ曲がりそうになる。探索者はPOW20と抵抗ロールを4回行い、失敗した分だけ1D3のダメージと共に、四肢が一本ずつ折れていく。この処理が終了後、不道徳の女王は周囲を染めあげた血や、探索者が巻き散らした血を一瞬にして全て吸い取り、満足した不道徳で恍惚の表情を浮かべながら、高く空に飛び立ちその場から消えてしまう。再び崇める言葉を放ちながら。インモラル・サナトリウム及び、不道徳の女王の脅威から『聖安多尼堂(サンアントニオ)』を離すことが出来たので、一応ザビエルから報酬は貰えるが、探索者達への精神的・身体的ショックは相当なものだろう。後日、ナイアル・ネオ・ファンタズマの各所で、同様の鮮血の事件が頻繁に起こるニュースや新聞の記事が探索者達の元に届き、シナリオ終了。
Illustrated by 接続設定 汝らを許そう。汝らの悪徳の全てを許そう。
汝らの不道徳の全てを受け入れよう。
TRPG動画「大正九頭竜」に登場している、ナイアーラトテップの化身。北欧神話に登場するトリックスター「ロキ」にして、赤き涙の女巨人 セック。大正九頭竜では、ロキが持つ善性と悪性の悪を象徴する存在であり、下品で狡猾、醜悪で淫靡な性格をした口達者な女の語り部、ストーリーテラーとして描かれている。それに対し、混沌都市の「インモラル・セック」は殆ど喋る事は無い。故に、人格や人間味といったものを感じさせず、「不道徳(インモラル)」といった概念。純粋な悪。神性や現象のような謎めいた恐怖を持ち合わせている。
「インモラル・セック」に具体的な呪文、復活の方法、儀式の様式などは定められていない。神への血の献上、怒りを鎮める踊りの儀式、悪魔・魔女崇拝、人を操る呪術や黒魔術などの、時代によって変化する民俗学的手法で、その都度違う方法で現れている。
物理的に存在しているわけではなく、人々の漠然とした不安や恐怖といったものに影響を受け、人々の意識化に幻覚や幻像として現れるため、セックを武器で直接倒したり、呪文で封印したりといったことは出来ない。
噂、デマゴーグ、ルーマー、ミームといった、人々の不安や心の鬱憤の捌け口として、実在しないものが現実に影響を与える概念に近い。それゆえ「インモラル・セック」は人々の不道徳な概念であり、純粋な悪性なのだ。